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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)2229号 判決 1987年3月02日

原告

木村政紘

右訴訟代理人弁護士

仲田隆明

里見和夫

甲田通昭

被告

医療法人爽神堂

右代表者理事

本多浄

右訴訟代理人弁護士

俵正市

重宗次郎

苅野年彦

草野功一

坂口行洋

寺内則雄

田邉満

主文

一  原告が被告の経営する七山病院の医師たる従業員であることを確認する。

二  被告は原告に対し、金一三八九万四三六四円及び昭和五七年三月一日以降毎月二五日限り一箇月金八四万四七四六円の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

五  この判決は、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  主文一及び四項同旨

二  被告は、原告を右七山病院の医師として就労させなければならない。

三  被告は原告に対し、一四五七万〇六八四円及び昭和五七年三月一日以降毎月二五日限り一箇月八四万四七四六円の割合による金員を支払え。

四  仮執行宣言

(被告)

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四四年、被告の経営する七山病院に勤務する医師として被告に雇用され、以後同病院で就労していた。

2  被告は、昭和五六年一〇月三〇日、原告を解雇したとして、原告と被告との間の雇用契約の存在を争い原告の就労を拒否している。

3  原告は医師であり、その職務上医師としての研さんが原告にとって特別の意義を有しているので、現実の就労が不可欠である。

4(一)  原告の昭和五六年一〇月三一日当時の賃金は、一箇月八四万四七四六円(内基本給六〇万四〇〇〇円)であり、支払日は毎月二五日である。

(二)  被告は原告に対し、

(1) 昭和五七年夏期一時金として一一一万五二〇〇円

(2) 同年冬期一時金として一七八万四六〇〇円

(3) 昭和五八年夏期一時金として一一一万七二〇〇円

(4) 同年冬期一時金として一八二万九〇〇〇円。

(5) 昭和五九年夏期一時金として一一二万九二八〇円

(6) 昭和六〇年夏期一時金として一一二万〇五〇〇円

(7) 同年冬期一時金として一八三万二〇〇〇円

(8) 昭和六一年夏期一時金として一一二万二二〇〇円

を各支払うこととなっていた。

よって原告は、被告に対し、原告が前記七山病院の医師たる従業員であることの確認、原告を右七山病院の医師として就労させること並びに昭和五六年一〇月三一日以降昭和五七年二月二八日までの未払賃金及び前記各一時金の総計一四五七万〇六八四円並びに昭和五七年三月一日以降毎月二五日限り一箇月八四万四七四六円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は争う。

3(一)  同4(一)の事実中、支払日を除くその余の事実は認める。

(二)  同(二)の事実中、(2)の事実は否認するが(一二五万円である)、その余の事実はすべて認める。

三  抗弁

1  被告は、昭和五六年一〇月三〇日原告に対し、原告につき被告就業規則第二一条第七号所定の「その他前各号に準ずるやむをえない事があるとき」(以下本件条項という)に該当する事由が存することから、同規則に基づき普通解雇の意思表示をした(なお、就業規則二一条の文言は、別紙(1)のとおりである)。

2  本件条項に該当する事由は、以下のとおりである。

(一) 原告は、昭和五六年九月一〇日午前一〇時三〇分ころ、原告の担当する七山病院A病棟看護婦詰所において、同病棟看護主任山下美代に対し、「山下さんてあんたはひどい人ですね。」「あの勤務異動は何ですか。病棟の話合いによく発言する人を皆出しているではないか。」「あんたは上に言いに行ったんでしょう。」「あんたは看護面でも手を抜いているではないか。」等と、他の看護職員の面前で虚偽の事実につき言葉荒々しく難詰し、同人の名誉を著しく傷つけた。そしてこれにより原告は、被告従業員多数の憤激を買い、ついには被告従業員をもって組織される七山病院労働組合(以下、組合という)が被告に対し原告解雇要求を行うなど、著しく七山病院の院内秩序を乱した(以下、山下問題ともいう)。

(二) 原告は、昭和五六年九月二日午後七時二〇分ころ、当直医として勤務中、七山病院一B病棟患者江端サダ子が腹部膨満疼痛が甚だしいので、夜勤看護婦鈴木豊子が原告に対し、直ちに診察してほしい旨要請したにもかかわらずこれを無視して診察せず、その後同日午後八時過ぎころ、右江端の容態が急変したことから右鈴木が再度医局にいた原告に対し診察の要請をしたところ、ようやく右病棟に来て診察したが、同日午後八時五二分急性心不全により右江端を死に至らせたものであり、右江端の死亡は原告の重大な職務怠慢によるものであり、右怠慢につき看護職員らの憤激を惹起した(以下、江端問題ともいう)。

(三) 原告は、昭和五六年五月九日、七山病院診療会議において、山口晃医師と共に、男子病棟夜勤者がパジャマ姿で勤務している旨の虚偽の事実を述べ、更に同年六月二七日、右診療会議において、原告の担当していた七山病院三A病棟の看護主任松永進から、右事実が不存在である旨を告げられ、あわせて謝罪を求められたにもかかわらず、「勤務者の心得の一つの事例として言ったまでだ。」と言い逃れ、何ら反省の態度を示さず、もって看護職員らを侮辱しその憤激を惹起した(以下、パジャマ問題ともいう)。

(四) 原告は、昭和五六年一月二〇日午後四時三〇分ころ、七山病院所定の手続を経ることなく知人である新行内六三を診察室に入れ、看護婦を立ち会わせることなく診察し、更に同日午後七時過ぎころ、同様に右手続を経ることなく右新行内を入院させ、右手続無視の態度につき、看護職員らの批判を惹起した(以下、新行内入院問題ともいう)。

(五) 原告は、昭和五六年八月上旬ころの水曜日、当直医として勤務中、七山病院所定の手続を無視して、当直室に外来患者を宿泊させ、もって看護職員らの批判を惹起し、また右患者に対し夜間の診察をしたにもかかわらず、時間外加算料金、深夜加算料金を徴することなく、更にそのころ同様に夜間診察した患者からは通常の診察料も徴することなく、もって被告に対し、右各料金相当額の損害を与えた(以下、患者宿泊問題ともいう)。

(六) 組合は、右(二)ないし(五)記載の原告の行為のほか、かねて七山病院医局(原告を含む七山病院医師により構成される団体又は右医師の常駐する事務室をいう。)が被告従業員の人事にことごとく介入し(上野政雄看護主任、松永看護長及び津野婦長の各降格人事など)、好き嫌いによる情実人事を強制することから、原告に対し反感を抱いていたところ、特に右(一)記載の原告の行為を契機に、昭和五六年一〇月一五日、組合臨時大会において原告追放決議を可決し、被告に対し、同月一九日、原告の解雇を求め、更に同月二六日、原告を同年一一月四日までに解雇しないならば同月五日からストライキに入る旨を通告した。ところで被告は、精神病院という医療業務の性格上、組合がストライキをすると多数の入院患者の生命、身体に危険が及び回復し難い混乱を惹起することから、組合の右要求に応じないわけにはいかなかった(以下、組合解雇要求問題ともいう)。

(七) 原告は、昭和五六年二月一四日以降同年一〇月一九日までの間に自らの担当する患者につきなした合計三三件の脳波検査の結果につき、一切所見をなさず、その職務を怠った(なお、その検査年月日及び患者氏名は別紙(2)(略)のとおりである。)(以下、脳波検査問題ともいう)。

(八) 原告は、昭和五六年四月二二日午後六時三〇分ころ、七山病院において当直医として勤務中、入院患者国本勝が椅子からすべって倒れ、左腕部痛を訴えている旨を看護人上野政雄から聞き、その診察を求められたにもかかわらず、「今ごろどうも仕様がないので明日にしたら。」等と述べて診察をせず、よって右により骨折していた右国本を放置し、もって医師としての職務を著しく怠った。なお右国本は、原告の診察を受けられなかったことから、右上野の判断で永山病院に運ばれ左上腕骨顆上骨折と診断され、その処置を受けた(以下、患者骨折問題ともいう)。

3  以上、本件解雇事由を個々に主張したが、本件解雇理由は、要するに、原告が医師としての権威と診療における看護婦等に対する優越的立場を濫用して七山病院内秩序を乱したのみならず、看護婦、看護人ら診療従事者及び事務職員をもって組織されている組合が、医局が介入して行った看護長、婦長の解任を契機として医師の人事介入排除を要求している最中に、山下に対し暴言を吐いて侮辱し、組合が看護者に対する原告の態度を問題として被告に対し解雇要求を行うという労使間の混乱を惹起し、被告に対する組合の要求を拒否すればストライキは必至の状況で、入院患者の多い精神病院としては社会的問題すら惹起する恐れが極めて強かったために外ならない。

更に、原告の医師としての勤務状況は、しばしば独善的態度に出て適切な治療行為を行わず診療上も極めて問題があり、又院内規則並びに所定規則を無視した勝手な行動が多く、これ以上原告との雇用関係を継続することは病院運営上不適当であると判断したためである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実中、原告につき本件条項該当事由が存する事実は否認するが、その余の事実は認める。

そもそも本件条項は、「その他前各号に準ずるやむを得ない事由があるとき」と規定されており、規定自体不明確であるところ、被告は、原告からの釈明に対しても、本件条項該当事由が、別紙(1)の就業規則二一条規定の一ないし六号の「前各号」のどの規定の事由に準ずるのか明らかにしないのであるから、本件解雇の意思表示は、就業規則に基づきされたものということができない。

2(一)(1) 同2(一)の事実中、原告がその主張に係る日時、場所において山下美代と被告主張と同旨の会話をしたこと、その際右場所に他の看護職員もいたこと、組合が原告の解雇を要求をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) これまで七山病院においては、医療の継続性を確保するため、病棟看護主任の交代に当たっては、事前に医局と被告とで協議、了解のもとにこれをするのが慣行であったところ、昭和五六年七月になされた山下美代を五A病棟看護主任とする配置については、これがなされなかった。そして山下美代は、着任後、同病棟担当医師である原告の同意を得ることなく、四検者(入院患者中、病状等の関係で毎日の検温回数を通常の三回より一回多い四回と指定された者のこと。)の数を減らし、看護婦が毎日作成する申送簿の記載を従前の二分の一に減らし、また、毎夜の患者のおむつ交換の回数を減らす等の看護方針をとった。そこでこのような山下美代の病棟看護主任としての方針につき病棟内の他の看護婦から批判が出たが、昭和五六年九月になされた病院内の看護婦の異動において、被告は、山下美代の意向を受けて右のように同女を批判する看護婦をほとんど五A病棟から転出させた。原告は、医師として、病棟看護主任である山下美代に対し、右九月の異動の経緯をただすとともに、看護活動に関する意見を述べたものであり、内容も真実であって、山下美代に対する名誉毀損行為には当たらないものである。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

これまで病棟看護主任の交代に当たって事前に医局と被告との協議がなされていたこと(ただし右が慣行となっていた点は否認する。)、昭和五六年七月になされた山下美代の病棟看護主任配置につき、右協議がなされず、医局の事前の了解を得ていなかったこと、山下美代が、着任後、原告の同意を得ることなく(ただし患者を担当する看護婦の意見は参考にした。)四検者の数を減らしたこと(ただしその人数は四ないし六名であり、期間は昭和五六年八月六日から同月一五日までである。)は認めるが、その余の事実は否認する。

(二)(1) 同(二)の事実中、原告が昭和五六年九月二日夜、当直医をしていたこと、同日午後七時二〇分ころ、七山病院一B病棟患者江端サダ子が腹部膨満疼痛が甚だしいとして、夜勤看護婦鈴木豊子が原告に対し診察を要請したが右時刻には診察しなかったこと、同日午後八時過ぎころ、右鈴木の再度の要請に基づき、原告が右病棟において右江端を診察したが、右江端が、同日午後八時五二分、急性心不全により死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 江端サダ子の主治医は、横山博医師であったが、同医師は、昭和五六年九月二日、公休のため、本多進医師(副院長)が、同日昼、右江端を直接診察しなかったもののグリセリン浣腸をするよう指示し、更に原告が、当直医として、同日午後四時三〇分ころ診察し、電解質の点滴を指示したものである。そして原告は、同日午後七時二〇分ころ、前記鈴木から右江端の病状につき報告を受けたとき、体温、血圧等が同日午後四時三〇分の診察時より改善されていたことから、診察をしなかったが、同日午後八時ころ、右鈴木の再度の要請で再度診察をし、右鈴木に対し、直ちに高圧浣腸をするよう指示したところ、同人がその施行をためらい、準備を遅滞したため、結局死亡したもので、右高圧浣腸が施行されていたならば、死亡に至らなかったものである。したがって右江端死亡の責任は右鈴木にあるが、そもそも七山病院は、七〇二床のベッドを有し、常時六二〇人から六三〇人の入院患者がいるにもかかわらず、被告は、原告ら医師の申入れを無視して、七山病院に内科医を常勤させなかったものであり、かかる被告こそ、右江端死亡についての第一次的な責任を負うべきである。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

原告が当直医として昭和五六年九月二日午後四時三〇分ころ江端サダ子を診察し、電解質の点滴を指示したこと、原告が同日午後七時二〇分ころ、前記鈴木の要請にもかかわらず、右江端を診察しなかったこと(鈴木がその後原告に対し江端の体温、血圧を報告した事実は否認する。)、原告が、同日午後八時ころ、鈴木の再度の要請で江端を再度診察し、鈴木に対し高圧浣腸をすることを指示したこと(直ちにするよう指示したことは否認する)は認めるが、その余の事実は、江端の主治医が横山博医師であったこと、同医師が昭和五六年九月二日、公休のため、本多進医師が同日昼、直接診察することなく江端につきグリセリン浣腸の指示をしたこと、七山病院が七〇二床のベッドを有し、常時六二〇人から六三〇人の入院患者がいること、七山病院に内科医を常勤させるよう原告ら医師から申入れがあったが、実現していなかったことを除き否認する。

(三) 同(三)の事実中、原告が昭和五六年六月二七日、七山病院診療会議において、病棟の看護主任松永進から、同病棟ではパジャマ姿で勤務している夜勤者はいない旨の報告を受けたこと、原告がその際右松永に対し、被告主張に係る発言をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同年五月九日の診療会議で夜勤者のパジャマ姿の勤務を問題にしたのは、山口晃医師のみであった。同年六月二七日の診療会議で原告が右発言をしたのは、パジャマ姿で仮眠している夜勤者がいることは既に確証を得ていたが、それを再度問題にすると、院内秩序が一層混乱することから、これを回避するためであった。

(四)(1) 同(四)の事実中、原告が昭和五六年一月二〇日午後四時三〇分ころ、新行内を看護婦の立会いなく診察したこと、同日午後七時過ぎころ、右新行内を入院させたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 原告が新行内を診察するにつき看護婦の立会いを求めなかったのは、新行内が、当時、相当興奮していたためであり、立会いを求めるか否かは、医師である原告の裁量行為である。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

争う。

(五)(1) 同(五)の事実中、原告が数回にわたり、被告の承諾を得ることなく、通院患者を、夜間診察したり、当直室に宿泊させたことがあることは認めるが、その余の事実は、被告の承諾を得ることなく原告が夜間通院させた患者につき時間外加算、深夜加算料金を徴することはなかった事実を除き否認する。

(2) 七山病院の患者である精神科の患者は、社会的偏見等から、夜間でなくては通院が不能なことがあり、したがって被告は、七山病院に患者のための宿泊施設を設置すべきであるところ、これをしないことから、原告がやむを得ず、自己の責任で宿泊させたものであり、むしろ責任は、右施設を設置しない被告にある。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

争う。

(六) 同(六)の事実中、組合が原告に対し反感を抱いており、その主張に係るとおり、被告に対し原告解雇の要求をなし、ストライキ通告をした事実は不知。その余の事実は否認する。

組合のなした原告解雇要求の理由は、抗弁2(一)ないし(五)の事実と重複するものであり、これらが正当なものでない以上、組合の解雇要求も失当である。

(七)(1) 同(七)の事実は否認する。所見は適宜にしており、用紙への記入が遅れたにすぎない。

(2) 右事由は、被告が解雇の意思表示をするに当たり主張しておらず、したがって解雇の効力を判断するについては、そもそも考慮すべきではない。原告の同僚であった山崎医師、本多進医師についても、自らは所見を一切せず、他の医師にすべてゆだねていたものであるが、被告は、これを一切不問に付していた。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

前記事由が、解雇の意思表示をするに当たり主張されなかった事実は認めるが、その余の事実は否認する。右事由を本件解雇事由となしえないとの主張は原告独自の見解にすぎない。

(八)(1) 同(八)の事実中、原告が国本勝を診察せず放置した事実は否認するが、その余の事実は認める。

(2) 右事由も、被告が解雇の意思表示をするに当たっては主張しておらず、したがって解雇の効力を判断するについては、そもそも考慮すべきではない。

(右(2)の事実に対する被告の認否)

前記事由も解雇の意思表示をするに当たり主張されなかった事実は認める。右事由も本件解雇事由として判断されるべきである。

3  同3の事実は否認する。

五  再抗弁

1  被告は、これまで医療行為よりも営利を優先する立場から、これに反対する医局の医師を排除しようとしてきたものであり、原告の解雇も、専ら、右目的実現のためになされたものである。

(一) 被告の経営陣である理事は、これまで親族で占められてきており、現在も同様である。昭和五三年以前においては、理事者すなわち病院側は、医局、看護課を中心とした医療スタッフの行う医療内容に介入することなく、医局等が患者のために治療、社会復帰の援助をおこなうについては、それなりにこれに協力してきた。

したがって、医療を担う医局、看護課等は昭和三〇年代から開放化を進め、それを支えるものとして患者の社会復帰を援助するための生活指導部を設置し、その予算を病院予算から独立させて患者のものとし、PSW制度(精神科ソーシャルワーカーの略で患者の社会復帰と医療の全般的な援助を職務内容とするもので、七山病院では社会福祉相談係に属し、患者家族の相談にのっている。)を設けるなどして医療面から患者の社会復帰のための数々の制度の実行がなされ、成果を収めてきた。このため、昭和五六年度(原告に対する解雇時)においては、開放率は約七〇パーセントまでに至っている。

(二) ところが、昭和五三年に、被告理事者の親族であり、それまで銀行マンであった福原が七山病院の労務課長として就任してきてから、被告は営利を優先させ、被告による七山病院の医療に対する不当な介入が始まった。

まず、賃金その他の労働条件が劣悪のままで改善されないため、医療の主要な部分を担う資格ある看護婦(士)が集まらず、このため昭和五五年一二月には一種の極限状態を迎え、特定の有資格看護婦にしわよせがなされ、その看護婦は一箇月に二〇日を超える夜勤をせざるをえないという状況であった。

このような状況下のため昭和五五年一二月には、退職一名、病欠四名と看護婦にトラブルが発生し、産休、妊娠していた者もあって、あちこちの病棟において勤務体制を組めない状態となった。看護婦の問題は、即医療の質の低下とつながるから、その打開のために医療を担当する医局等は、理事者、管理職で看護婦(士)の長である看護長、婦長に対し、早急に事態を解決するよう強く要請した。これに対して、当初、被告は、現在看護婦を募集中というのみの姿勢であったため、医局等は劣悪な労働環境は労基法に違反するから労働基準監督局に提訴を考えると発言すると、被告もようやく「有資格者を募集する。院内研修にも力を入れる。」と約束したので、医局等医療側は被告の誠意を期待して事態を今暫く見守ることとした。しかしながら、被告は何ら改善策を積極的に行わなかった。そこで、更に医療側と被告との交渉が持たれ、昭和五六年一月二七日には被告は次の四条件を医療側に提案し、医療側もこれを受け入れた。

「<1>二月二一日より看護長、婦長を交代する。

<2>労務課長には、医療の事を判ってもらうために、庶務関係の勉強をしてもらう。やがて庶務課長との交代を考える。

<3>理事側の責任として南一理事(会計担当)は本給を二割カットする。南守事務長もこれに続く。

<4>五七年度から、患者数六五〇名を目処に二類看護を目指す。」

被告は自ら提案した四条件を厳密には一つも履行していない。二月二一日に看護長、婦長に代わって看護長代行、婦長代行が院長より発令されたが、この難局で看護長、婦長の引受手はおらず、また被告は自ら約束しておきながら、新たな看護長らの選任について一切努力しようとしなかった。問題の福原労務課長についての扱いも全く実行されていない。二類看護を目指すというのは、従前の七山病院の看護基準よりレベルアップするということであるが、これは医療側からつとに提案されていて被告側の取組姿勢によって十分に実現可能なものであるが、これまた全く履行されていない。

昭和五六年三月に入ってからは、被告は反医局感情を組合との団交の席上等で露骨に示してきた。例えば、南事務長は、「先の看護長、婦長の交代は医局が勝手にやったことである。」、「今日の看護長、婦長代行の人事については自分達は知らない。」と全く不当な発言をしたのである。すなわち、ここに至って、被告は七山病院においてこれまで医療スタッフが進めてきた患者の治療、社会復帰という当然の路線を否定し、営利至上主義の途を突っ走ることを表面化し、被告が営利主義の途をとるに際して最も障害となる医局の解体が意図されたのである。そして七山病院において、医局の中で最も原則的に患者のための治療、社会復帰の方向を進めている原告をまず追放することが医局解体の突破口になるのであり、被告もそこに的を絞って対応してきたのである。

(三) 被告は、原告を追放する前提として、それまで二〇年にわたって、出勤してこない院長に代わって実質的権限を有していた医局長である山崎医師を、辞職させることに取り組み、昭和五六年六月これに成功した。次に、被告は原告の追放を画策し、それは組合員たる末端管理職を用いて組合と医局とを分断させ、その上で、病院内にヒステリックに原告追放のキャンペーンをデッチ上げることであった。被告における組合の設立は、昭和四〇年ころであるが、組合が被告と団体交渉等の場において労働条件の改善を求めるについては、医局のバックアップが大きく寄与していた。つまり、本件における原告追放劇が始まるまでは医局と組合は密接な関係にあったのである。

被告が医局と組合との分断策に使用したのが、拡大闘争委員会という組合内に設置したわけのわからない委員会である。拡大闘争委員会は昭和五六年五月二三日の組合の執行部と職場委員との合同委員会の席上、議題にもなかったのにもかかわらず中根執行委員長が突如その設置を提案し、大原副委員長が支持発言をなし、その設置が決定された。しかし、組合には執行部があるのであるから、必要があったならば拡大執行部でもって事にあたるのが本筋であるが、拡大闘争委員会は、執行部とはあきらかに別機関であり、その後も執行部を排除あるいは (ママ)喝して「前看護長、前婦長は医局によって人権を侵害された」として原告追放のデマ宣伝を始めた。

前記のとおり、前看護長、前婦長の交代は、看護婦の勤務状態に異常が生じたために、被告が四条件の一つとして右看護長らの責任を問うたことにあるのであって、医局がなしたことではない。ただ被告が医局が勝手にやったとデマを飛ばしていたにすぎない。

拡大闘争委員会は原告に対する本件解雇後間もなく解消してしまうが、同時にその時点では拡大闘争委員会設立時の執行委員長は辞職し、もう一人の副委員長桑原も辞職し、書記長松本は拡大闘争委員会の原告追放のやり方に異を唱えると、統制処分を受け、組合執行部自体が崩壊状態となってしまった。すなわち、拡大闘争委員会は被告が操作して設置されたもので、その目的は医局と組合の分断、原告追放のためだけに存したのである。それ故、医局と分断された組合は、従来の医局のバックアップを失って組合としての実体を失ってしまったのである。

(四) 原告の追放は組合に拡大闘争委員会の設置が画策された昭和五五年五月から表面化するが、被告は原告の追放行動と併行して、本来の目的である営利優先のための措置を強引に次々にとってくる。

(1) 前記のように生活指導部は、患者が社会復帰するために、同部で得た資金で独立予算を組んで、作業部門、デイケア(退院患者が一日通院することによって作業、レクレーションに取り組む)、外出勤務(病院を拠点として外で勤務する)、売店(売り上げの利益は生活指導部の重要な予算の一部)等の運営をしているが、被告は昭和五六年四月には生活指導部の会計をすべて七山病院会計と一本化せよと要求してきた。これは、生活指導部を解体し患者の社会復帰を否定するもので、患者を退院させることなく病院に収容するだけを意図するものである。そして、本来、患者の社会復帰のために費消されなければならない資金を被告が取り込もうとするものである。

(2) 右と同時期に、前記のようにPSW(精神科ソーシャルワーカー)が、精神病患者に対する社会的偏見差別から入院患者の家族、通院患者の相談にのる時間帯は休日、時間外に及ぶこともしばしばであり、この時間外の相談が患者の治療、社会復帰に大きな効果をもたらすのであるが、被告はPSWの休日、時間外勤務撤廃を命じた。このことからも、被告が患者の治療、社会復帰よりも営利優先を狙っていることが明らかである。

(3) 被告は昭和五六年八月には、八病棟のホールを潰して、これを病室にして患者を詰め込む計画を発表した。病院の敷地がすべて病室で埋められてしまえば、それは収容所以下の「収容所」とならざるをえない。

(4) 同じく八月に、被告は開放病棟でたまたま事故が発生したのを奇貨として、それまでの開放時間を短縮して、看護面の手抜をせんとした。

(5) 被告はそれまで、患者が病院敷地内の草取作業をしたことに対して一箇月一四万五〇〇〇円を生活指導部に支払っていたが、同年八月からはこれを打ち切り、宇都宮病院と同様に患者にただ働きを強いている。

(6) 被告は、従前、被告と医療側との間に合意が存した昭和五六年六月建設予定の患者の社会復帰のための施設の新作業場の建設を一方的に破棄してしまった。

(7) 七山病院に入院する患者は生活保護、健保、国保によるものに分類され、生活保護による入院患者については福祉事務所から相当額の小遣いが支給されるが、被告は小遣いが一定額以上貯まると福祉事務所から小遣いが支給されなくなると称して、患者に自由に小遣いを使用させるのではなく、別に被告の別口預金口座を開設してそこに小遣いを移し、当該患者に金額の明細を知らさず、当該患者が死亡すればそのままその預金を没収するということを行っている。これは以前から行われていることである。昭和五六年度現在における別口預金は一億円と言われるが、この利子については当該患者のものであるが、被告は自分のものと称してこれを取り込んでしまっている。

(五) このような中で、被告は医局の何ら事前の承諾を得ず、かつ相談することなく、突如七月に病棟主任の配転を行った。

原告が主治医をする五A病棟にはそれまで長期間に亘って、身体的看護から遠ざかっていた山下美代が主任として配置された。五A病棟の入院患者は各病棟の中でも症状が重いものが多く、従って濃密な看護が要求されるが、山下は原告に無断で四検(一日の四回目の体温測定)をやめるなど、看護の手抜を行っていた。右主任の配転は、医療側を全く無視したものであるとともに、山下主任の手抜看護も営利優先の観点からの看護婦の人減らしのための被告が仕組んだものといわざるをえない。

また、被告は、同年九月にはまたもや突如副主任の配転と原告が主治医をする五A病棟の三人の看護婦の配転も強行した。主任が配転になって僅か二箇月というのに副主任しかも五A病棟の三人の看護婦も配転してしまうということは、医療や看護の否定以外の何ものでもない。

そして、誰が見ようと原告がターゲットとされていること、その狙いが原告の病院からのパージにあることは余りにも明らかである。

(六) 以上のとおり、原告に対する解雇の狙いは、原告に解雇事由が存するか否かにあるのではなく、解雇事由が存しようが存しまいが、営利主義をとるについて最大の障害となる医局の、その中心人物である原告を七山病院外に追放することにある。それ故、被告の掲げる解雇事由はいずれも存在しないか、とるに足らないものばかりである。被告は、解雇の前日の一〇月三〇日には病院の周囲にフェンスを張り、各入口に鉄柵をし、正面入口にガードマンを配置し職員には新たに身分証明書を発行し、外出する入院患者には入院許可証を発行するという七山病院始まって以来の厳戒態勢を敷いた上で原告に解雇を言い渡したもので、このことは、被告自ら原告に対する解雇が違法不当な目的をもって行われたことを認めるものである。

2  被告と組合との労働協約上、組合に属する者の解雇については、組合に対する事前通知等を要することとなっており、右の扱いは、組合に属さない者の解雇にも準用されてきた。

ところが原告の解雇に際し、原告又は原告の属する医局に対する、事前の告知、聴聞の手続は全くなされなかった。

3  以上のとおり、原告に対する解雇は、専ら営利追及のためにその障害となる原告を排除する目的で、適正な手続を経ることなくなされたものであり、解雇権の濫用に該当するものとして、無効である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実のうち、七山病院における生活指導部設置並びにPSW制度の採用が医局の意見を採用してなされたものであること、昭和五六年当時における七山病院における開放率が七〇パーセントになっていたこと、昭和五三年、原告主張に係る身分関係、経歴を有する福原が七山病院の労務課長となったこと、被告が、昭和五六年一月二七日原告主張に係る提案をしたこと、南事務長が組合との団交の席上、原告主張に係る発言をしたこと、昭和五六年六月、山崎医師が退職したこと、被告が生活指導部の会計を七山病院の会計と一本化したい旨申し入れたこと、被告がPSWの休日、時間外勤務撤廃を命じたこと、被告が入院患者の開放時間を短縮したこと、被告が生活指導部に対する支払を打ち切ったこと、五A病棟の看護婦の配転が原告主張に係るとおり(原告パージの目的は否認する。)なされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  同2の事実のうち、原告に対する解雇につき、原告又は医局に対する事前の告知、聴聞がなされなかった事実を除くその余の事実は否認する。

3  同3の事実は否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一1  請求原因事実中、原告に対する賃金支払日が毎月二五日であることは、被告において明らかにこれを争わないので自白したものとみなし、また、原告と被告との雇用契約においては、医師としての研さんが原告にとって特別の意義を有していること及び被告が原告に対し昭和五七年冬期一時金として一二五万円を超えて支払うこととなっていたことを除くその余の事実は、すべて当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実、(証拠略)及び弁論の全趣旨によると、

(一)  昭和五七年冬期一時金は、原告ら医師については、(基本給×二・九+三万三〇〇〇円)×〇・七

という算式により算出されることとなっていた。

(二)  原告の基本給は六〇万四〇〇〇円であるので、右算式により算出すると、一二四万九二二〇円となることから、金一二五万円とされた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  原告は、医師としてのいわゆる就労請求権を主張するところ、そもそも、就労請求権は、労働組合法二七条にもとづく原職復帰命令が発せられたときのように明確な法的根拠のある場合ないしは当事者間に特約のある場合又はこれを認める特別の合理的な利益を有する場合を除いては、認められないものと解すべきであり、本件においては、かかる主張立証は全くないので、これを認めることはできないといわざるを得ない。

二  次に、抗弁事実について判断する。

1  被告が昭和五六年一〇月三〇日原告に対し原告につき本件条項該当事由が存するものとして普通解雇の意思表示をした事実は当事者間に争いがない。

原告は、本件解雇は就業規則に基づくものということができない旨主張するが、右主張は採用できない。なるほど、本件条項は「その他前各号に準ずるやむを得ない事があるとき」とあり、その内容は抽象的であるが、前各号の規定内容に照らすと、自ずからその内容は具体性を帯びるものということができる。そして、被告の主張によると、もっぱら被告側の都合による解雇の主張ではなく、原告に基因する普通解雇の主張であることが明らかであるから、本件条項により右普通解雇をするためには、被解雇者の精神又は身体に故障がある(準一号)、技術又は能率が低劣である(準二号)、休業中に背信行為がある(準三号)、勤務成績が不良である(準四号)、又は懲戒解雇に準ずるような事由がある(準六号)など被解雇者の精神、身体又は能力に欠陥があり若しくは被解雇者の行動に落度があって、同人を解雇するやむを得ない事情のあることが要件とされるものと解される。

2  そこで、まず、被告主張の個々の解雇事由につき検討することとする。

(一)(1)  山下問題については、これまで病棟看護主任の交代に当たって事前に医局と被告との協議がなされていたこと(ただし右が慣行となっていたか否かについては争いがある。)、昭和五六年七月になされた山下美代を五A病棟看護主任に配置した件につき、右協議がなされず、医局の事前の了解を得ていなかったこと、山下美代は着任後、同病棟担当医である原告の同意を得ることなく、四検者の数を減らしたこと、そして原告が、被告主張に係る日時、場所において山下美代と被告主張同旨の会話をしたこと、その後右場所に他の看護職員もいたこと、組合が原告解雇要求をしたことは当事者間に争いがない。

そして右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果を総合すると、

ア 七山病院の原告の担当していた五A病棟看護主任が、昭和五六年七月二一日、奥野かよ子から山下美代に交代したが、これまで七山病院の病棟看護主任の交代については、その約一箇月前に被告から医局に対し事前の説明がなされ、事実上その了解を得てからこれをするのが慣例であったところ、昭和五六年七月の右異動については、同月六日、医局の事実上の代表者となっていた山口晃医師を通じてその通知があったのみで、事前の説明等その余の手続はなされなかった。

イ 山下は着任後、右病棟の一部の看護婦から負担軽減を求められたこともあり、とりわけ夜勤者の勤務内容を軽減する趣旨で、まず、昭和五六年八月六日以降、右病棟の患者中の四検者の数を減らすこととし、このため右病棟に事実上存在していた四検者とするための運用基準を若干厳しくし、従前四検者として扱われていた患者のうち四、五名を四検者からはずした。

また山下は、病棟において一日に三交代で勤務する看護婦が、その担当する時間内における患者の病状等を、交代後の他の看護婦に引き継ぐため記載する「申送簿」について、前同様の趣旨から、その記載を簡略化し、口頭による報告をもってこれに代え、他方、これにより余力が生じたときには、これを看護活動の充実に充てるとともに看護婦の負担軽減を図った。

すなわち、七山病院における右申送簿は、一日(二四時間)で一ページ記載する形式となっていたが、これまで五A病棟では、日勤部分で一ページを使用し、更に夜勤の前半部分と後半部分とで合計一ページを使用して記載していたことから、その記載を少なくすることを目指し、その旨を他の看護婦に指示するとともに、自らも、病棟看護主任として日勤部分を記載する際、一ページ全部に記載せず、約四分の一ページの余白を残すような記載を心掛けた。

ウ ところで山下がこのように病棟看護主任としての指導方針を立てるについては、原告及び他の看護婦の了解を得てなされたものではなく、そのことから右方針については、同病棟の看護副主任であった山中看護婦のほか、同病棟の大高看護婦、吉川看護婦らを中心に反対があり、同人らは、従前からの看護方針で看護活動をしようと考えた。五A病棟において個々の日に、誰を四検者とするかは、同日の日勤の責任者である病棟看護主任又は副主任がこれを決していたが、昭和五六年八月一二日及び同月一六日、日勤の責任者となった前記山中看護婦は、四検者の数を、従前の基準に従って、それぞれ二一名、二四名としたところ、同月一三日及び同月一七日、日勤の責任者となった山下は、四検者の数を、自らの基準に従って、それぞれ一六名、一八名に減じた。

エ 七山病院五A病棟では、毎週火曜日午後一時ころ勉強会が開かれていたが、昭和五六年八月一八日(火曜日)開かれた勉強会において、四検者の数が問題となり、前記山中、大高らは山下に対し、山下が独断で四検者とする基準を厳しくしたことを批難するとともに、従前どおりの基準により四検者を確定することを強く求めたが、原告も右席上に立ち会い、山中、大高らに同調して、四検者の数を従前どおりにするよう求めた。そこで山下も、四検者の数を従前どおりとすることに同意し、右勉強会のあった昭和五六年八月一八日から、再び四検者の数が従前どおりとなった。

オ 山下は、五A病棟の看護主任として着任後、前記山中、大高、吉川ら、原告を中心に確立してきた治療方針、看護方針を継続しようとする看護婦と、自己と同様、とりわけ夜勤時における看護婦の負担の軽減を願う看護婦との間に立ち心労を感じ、しばしば上司である看護長、看護婦長に対し、「しんどい」などと述べ、同人らも、山下の心労の内容が、右のような看護方針の相違に基づく人間関係にあることを了解し、これを被告に伝えた。そこで被告は、原告に同調する前記山中らを五A病棟から排除することを決意し、七山病院の病棟看護主任クラスを除く看護婦の内部異動を、昭和五六年九月二一日行うこととし(発表時期は同月八日)、これにより前記山中、大高、吉川は五A病棟から転出し、同時に他の看護者も二名転出し、そのため五A病棟の看護婦(病棟婦を除く。)は、昭和五六年七月以前と同年九月以降とを比較すると、その三分の一以上が代わることとなった。

カ 原告は、昭和五六年七月及び九月の右各異動は、原告の治療方針に反感をもつ被告が、山下の意向を取り入れてなしたものと考えるようになり、同年九月一〇日午前一〇時三〇分ころ、五A病棟看護婦詰所において山下に対し、「山下さんはひどい人ですね。」「その交代はひどいじゃないか。」「詰所での話合いで発言している人を皆出しているではないか。」「あなたが上に言っていかなきゃ、だれが言うのですか。」「あなたは手を抜いている。今までやってきた枠を壊さないようやってくれないと困る。」などと語気荒く言った。なお、右発言に際し、たまたまその場に、原告及び山下以外に、前記山中ほか数名の看護婦がいた。

山下は、原告からの右発言を聞き、他の看護婦の前での発言であることから、自己の面目を失ったように感じたものの、昭和五六年九月の人事異動については、自己が看護長らに前記のような発言をしたためなされたものと理解していた。

キ 七山病院における職制については、医局は、その事務の一つとして、診療に従事する看護職員の教養、指導監督をすることになっており、病棟看護主任は、受持病棟の看護業務を掌理し、所属職員を指導監督するとされていた。

以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  そこで検討するに、原告の山下に対する前記発言は、場所、表現等につき穏当を欠く面もないではないが、その内容は専ら山下の病棟看護主任としての看護方針等に係るものであり、しかも大筋において真実に合致するものである。すなわち原告の発言は、昭和五六年九月の異動と、看護方針との二項目に関するものであるが、まず後段の看護方針に係る部分については、病棟のいわゆる主治医である原告がその病棟の看護方針に関心をもつことは、就業規則等の特段の規定を前提とするまでもなく当然のことであるところ、病棟看護主任となった山下の看護方針は、精神病院としての七山病院のあるべき姿を想定して設定されたものではなく、現状の(特に夜勤の)看護婦の数を前提として、その人数により何ができるかを基準にして設定されたものであり、四検者の数の減少、申送簿の記載の減少もその一環をなすものである。そこで山下と異なる立場に立つ原告が、自己の立場から山下に対し、治療活動、看護活動につき希望を述べるとともに、担当医との協調が要求される看護主任が着任早々担当医に相談することなく従来とられていた方針を勝手に変更したことを注意かつ批難したものであり、右言動には指導監督する立場にある者としてはやゝ穏当を欠くふしが見受けられるが、右事情からするとき、これを名誉毀損であるとして特に取り挙げて云々するまでのものではない。また昭和五六年九月の人事異動では、前記のとおり、山下の方針に反対する者が転出しており、これは山下が看護長らに対し、再三にわたり、五A病棟に山下の指示に従わない看護婦が多数いて困るという趣旨と理解される発言をしたことからその意向をくんだうえでなされたものであり、同時に、従来の慣行からすると、担当医たる原告の立場を無視するものであるが、原告は右事情を察知して、自己の賛同者を追い出すような行動をとった山下に対し、苦情を述べたものであり、前同様その言動に穏当を欠くものが見受けられるが、この言動のみをとらえて、名誉毀損を云々するのも相当でない。

要するに、原告の右言動には穏当を欠くものがあったことは否定できないが、右言動をもって原告を解雇するもやむを得ない事情とすることはとうていできない。

(二)(1)  次に江端問題については、江端サダ子の主治医が横山博医師であったこと、同医師が昭和五六年九月二日公休のため、本多進医師が同日昼、直接診察するまではしなかったものの、右江端につきグリセリン浣腸の指示をしたこと、また、七山病院が七〇二床のベッドを有し、常時六二〇人から六三〇人の入院患者がいること、七山病院に内科医を常勤させるよう原告ら医師から被告に対し申入れがあったが、当時実現してはいなかったことは被告において明らかにこれを争わないので自白したものとみなし、原告が、当直医として同日午後四時三〇分ころ江端を診察し、電解質の点滴を指示したこと、鈴木豊子看護婦が、同日午後七時二〇分ころ原告に対し、江端の腹部膨満、疼痛がはげしいとして診察を要請したが、原告は、その時刻には診察しなかったこと、原告が、同日午後八時ころ、鈴木の再度の要請に基づき七山病院一B病棟において江端を診察し、鈴木に対し高圧浣腸をすることを指示したこと、江端が同日午後八時五二分、同病棟において急性心不全により死亡したことは当事者間に争いがない。

そして右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果を総合すると、

ア 江端サダ子は、昭和四四年一月、七山病院に入院し、一B病棟において横山博医師が主治医となって治療を受けていたものであるが、昭和五六年九月二日昼、作業中に腹痛を訴え、公休の横山医師に代わって担当した本多進医師がこれを看護婦から聞いたが、同医師は、直接診察することなく、便秘であるとして、取りあえずグリセリン浣腸の指示をした。

イ 原告は、同日午後四時三〇分ころ、当直医として江端を診察したが、既にグリセリン浣腸がなされているにもかかわらず、腸音が低下しており、血圧は、九〇と六〇で、顔色が悪く、ぐたっと寝た状態で瞳孔反射もやや鈍い等の症状で、夕食が午後四時に出たが食べていないことから、電解質を中心とした点滴をすみやかにして、水分補給をすることを看護婦に指示した。

ウ 鈴木看護婦は、同日午後五時、夜勤者として一B病棟看護主任の池田看護婦から申送りを受けたが、その際江端については、便秘の訴えがあり、グリセリン浣腸をしたがあまり効果がないため原告に診察をしてもらったところ、点滴の指示があったので現在準備中である旨の申し送りを受け、それを引き継ぎ江端につき点滴を開始した。

エ 同日午後七時二〇分ころ、江端の病状が悪化し、腹部が膨満し、痛みを訴えたことから、鈴木は原告に対し、江端を診察するよう求めたが、原告は、鈴木から、そのときの江端の血圧が九八と七二である旨を聞き、午後四時三〇分ころの診察時より改善されており、また当時、被告の職員である丸尾炊事婦から、同人の家族の入院のことで相談を受けていたこともあり、取りあえず、江端の病状を看護婦に引き続いて観察させることとした。

オ 同日午後八時ころになり、江端の病状が一段と悪化したことから、鈴木は原告に対し再度江端の診察を求め、原告は、そのころ、一B病棟において江端を診察したが、そのときの江端の症状は、腹部が非常に膨満し、腹痛が強い等であり、まだ前記点滴が継続中であった。原告は、診察の結果、直ちに高圧浣腸をして腸管の運動を起こさないと全身に影響すると考え、まず右浣腸をして、その経過を見て次の手段をとるという治療方針を立て、鈴木に対し、直ちに右浣腸をすることを指示し、いったん医局に帰り、待機をした。

カ ところで鈴木は、高圧浣腸を施行することに恐怖心を抱いており、また前記点滴も一部残っていたことから、その施行をためらっているうちに江端の心臓、呼吸が停止するに至ったので、原告を呼び出し、心臓マッサージ等をしたが、同日午後八時五二分急性心不全により死亡するに至った。

キ なお江端の死因は、直接には右のとおり急性心不全であるが、江端の使用していた精神病治療薬が、副作用として腸管の機能低下を招き、これにより腸閉塞が生じたところ、江端は、昭和五三年六月から心筋障害があり、心臓の弱い状態にあったことから、右腸閉塞を契機に急性心不全となり、死亡するに至ったものと考えられる。ところで右のような腸閉塞症(麻痺性イレウス)の治療法として、ワゴスチグミンの注射などがあげられるが、その前段として、電解質の点滴や高圧浣腸を保存療法として施行する見解もある。

以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  そこで検討するに、原告が昭和五六年九月二日午後四時三〇分、午後八時の各診察の際、点滴、高圧浣腸を指示した点については、前記のような治療法についての諸見解を考慮するならば、医師の裁量行為たる治療行為として何ら失当なものであるとは考えられず、江端死亡の原因としては心臓衰弱、薬の副作用による腸管機能の低下、腸閉塞の併発などが挙げられるが、いずれにしても突発的なことであり、当直医であった原告のとった措置に右死亡と直接結びつく落度があったと認められるものはない。なお被告は、同日午後七時二〇分ころ、鈴木の要請に対し原告が診察をしなかった点をとらえて批難するところ、苦しむ患者を前にする看護婦としてはより迅速に診察してほしいと思うのは当然のことであり、この点原告の態度に問題がないとはいえないが、前記のとおり、原告は鈴木から江端の血圧や熱の状態をたずねた結果、江端の状態が午後四時三〇分ころの状態よりも良くなっていると判断したのであるから、一応の注意義務を尽くしているというべきであり、結局、原告に医師としての能力に欠ける点があるとか、重大な職務怠慢行為があったとかの事実を認めるに至らない。

(三)(1)  夜勤者のパジャマ問題については、原告が昭和五六年六月二七日、七山病院診療会議において、原告が当時担当していた三A病棟の看護主任松永進から同病棟ではパジャマ姿で勤務している夜勤者はいない旨の報告を受けたこと、原告が、その際松永に対し、被告主張に係る発言をしたことは当事者間に争いがない。

そして右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、

ア 七山病院では夜間であっても入院患者からいつどんな相談、要求が出るかわからないことから夜勤者は、仮眠する場合であっても、通常の勤務のときと同様の服装をすることとし、パジャマ姿等には決してならないように、という内規が存していたが、昭和五六年五月ころ、山口晃医師は、たまたま当直のため他の病棟から三A病棟に行っていたものから、三A病棟の夜勤者にパジャマ姿で仮眠をするものがある旨きかされ、このことを当時三A病棟も担当していた原告に告げた。

イ その後間もなく開催された七山病院の医師、各病棟看護主任らが出席して構成される診療会議において、右山口医師が七山病院全体の問題として、夜勤者はパジャマ姿で仮眠しないよう再確認を求め、原告も、その際、これに同調する発言をなし、更に、右会議が終了した後、三A病棟看護主任松永進に対し、山口医師が問題としたパジャマ姿で仮眠をしていた夜勤者は三A病棟の夜勤者である旨を述べた。

ウ ところで、右会議において山口医師、原告らが問題にしたのは、パジャマ姿での仮眠であったが、松永は、パジャマ姿での勤務が問題にされたものと理解し、早速三A病棟において各看護職員に対し夜勤に際し、パジャマ姿で勤務していたことがあるか否かを聞き取り調査をし、その結果、パジャマ姿で勤務をしていたものはいないことが判明した。そこで松永は、昭和五六年六月二七日、事前に看護長の承認を得た上、右診療会議において、三A病棟においては、夜勤者がパジャマ姿で勤務していない旨を報告した。

原告は、右報告を聞き、原告らが問題としたのは前記のとおり、パジャマ姿での仮眠を問題としたのであり、松永の調査は趣旨を誤解していると思ったが、改めて右の点を指摘して再調査を求める等すると、誰が右仮眠の事実を原告らに知らせたのかということで看護職員相互間で疑心暗鬼が生じ、ひいては七山病院全体の看護活動の低下を招く虞があるものと考え、これ以上深入りすることを避けることとし、「勤務者の心得の一つの事例として言ったまでだ。」旨発言して、その場をおさめた。

以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  そうすると、原告の右発言は何ら虚偽の事実を述べたものではなく、またその方法についても、医師、看護職員相互の真しな発言を通して七山病院の医療、看護活動をより改善しようとする診療会議の目的に照らし相当なものであったと解され、松永看護主任を侮辱するものでないことが明らかであり、その行為に落度を認めることができない。

(四)(1)  次に新行内の入院問題については、原告が昭和五六年一月二〇日午後四時三〇分ころ、新行内を看護婦の立会いなく診察したこと、同日午後七時過ぎころ、右新行内を入院させたことは当事者間に争いがない。

そして右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、

ア 昭和五六年一月二〇日受付時間終了後の午後四時三〇分ころ新行内六三が知人に付き添われて七山病院に来院したので、受付担当者は、新行内らに対し、何のために来たのか等を再三にわたり尋ねたが、これには答えず、ただ原告との面会を強く求めたことから、やむなく原告に連絡した。

イ 原告も、事前に新行内らから来院の予告を受けていたわけではなく、また新行内につき特段の面識もなく、受付の連絡で初めて知ったものであり、受付からの連絡であるから当然原告に対し診察を求めているものと理解し、特別の配慮もなく新行内らと診察室で会って診察することとしたが、右診察に当たっては、新行内の病状や興奮した態度等を考慮して、終始看護婦を立ち会わせずに、診察をした。

ウ 原告は、同日午後七時過ぎころ、新行内を入院させることに決し、原告の指示を受けた奥野は、直ちに七山病院の当直の担当者に連絡し、新行内の妻から同意書をとらせるなど入院のための手続をとった。

以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  そこで検討するに、新行内の件については、診察時に看護婦を立ち会わせなかったことが問題とされているが(被告は、入院手続もとられなかった旨主張するが、前記認定のとおり、当直担当者により必要な手続は、最小限ではあるが、なされており、右主張は失当である。)看護婦を立ち会わせるか否かは、医師の裁量行為であると解され、前記の事情からすると、新行内の診察につき看護婦の立会いを求めなかったことは、その担当性の範囲内にあるものと解され、その他、原告に批難されるべき手続無視があるなどの事実を認めることができない。

(五)(1)  外来患者宿泊問題については、原告が数回にわたり、被告の承諾を得ることなく通院患者を夜間診察したり当直室に宿泊させたことがあることは当事者間に争いがなく、また被告の承諾を得ることなく原告が、夜間通院させた患者につき時間外加算、深夜加算料金を徴収しなかったことは原告が明らかにこれを争わないので自白したものとみなす。

そして右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、

ア 原告は、自らが当直医をしているとき、夜間診察に訪れた通院患者を深夜まで診察することがあり、そのため自宅に帰る交通機関のなくなった患者又は交通機関はあるものの、症状の関係で深夜帰宅させるより翌朝帰宅させることが望ましい患者を、何度かにわたり原告の当直室の布団の隣りに寝させることがあった。

そして右のような患者が来院することが電話等による事前の連絡により予想されるときには、その日の昼のうちに、患者が通常の時間に来たのと同様のカルテを作成し、必要な治療薬を病院の薬局から取り寄せておき、もちろん健康保険金等の請求もしておいたこともあったが、時間外料金等の請求はしていなかった。

なお、右のような夜間の診察及び当直室への宿泊につき、被告の当直担当者への連絡は一切しなかった。

イ ところでこのような原告の診察、無断宿泊については、まもなく被告も了知していたやに窺われるが、原告に対し、特段の注意又は中止勧告をした形跡がなく、原告の同僚の医師の多くは、かえって原告の右行為を、治療活動への情熱のあらわれとして高く評価していた。

ウ もっとも本多義治医師(院長の子)は、昭和五六年八月上旬、患者の宿泊を初めて現認し、原告に対し注意を喚起したことから、原告は、その後同月二七日、同様の診察をし、無断で宿泊をさせたことがあったが、以後はかかる診察行為をとりやめにした。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。なお患者から通常の料金も徴収しなかったことがあった事実については、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。

(2)  そこで検討するに、原告の右のような深夜にわたる治療活動及び病状等を考慮しての宿泊場所の提供は、それ自体としては精神科医師の治療への情熱のあらわれとして、七山病院のためにもそれなりの評価ができるものであるが、他方、被告は組織体として治療活動をしているものである点に思いを至すならば、原告としては、少なくとも被告の当直担当者に右の事実を連絡するなど手続面にも意を用いるべきであったというべきである。また、原告が時間外に患者を診察するのであるから、被告としては時間外料金等を徴収することが可能であるところ、原告がこれを怠ったことにより、被告は得べかりし利益を喪失したものと解されるが、原告としては、これまで被告からこの点につき注意されたことがなく、そこまで思いが至らなかったものと推認され、そしてその後、前記のとおり、本多義治医師から注意を喚起された後はその態度を改めているのである。したがって、原告の右行為には医療を重視するあまり、手続面を軽視した面のあることは否定できないが、全体としてみるとき、これを職責違反などとして強く批難するのは相当でない。

(六)(1)  組合からの原告解雇要求問題について判断する。(証拠略)及び原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く)によると、

ア 組合は、昭和五六年一〇月一五日、臨時大会を開き、原告追放決議を可決し、被告に対し、同月一九日、原告を解雇するよう求め、更に同月二六日、原告を同年一一月四日までに解雇しなければ同月五日からストライキに入る旨を通告した。

イ ところで組合が右決議をなし、原告の解雇を要求するに至る契機は、原告が山下美代に対し前記(一)(1)認定の発言をしたことにあるが、組合が異例ともいえるかかる要求をした背景には、従前医局の意向が看護者ら組合員の職場配置に多大の影響力をもっており、それが高じて医局の好みにより組合員の配置が左右されるなど組合員の人権を侵害しかねない事例が多数あったとの事情がある。すなわち、昭和四七年五月ころ山崎医局長の指示により上野政雄看護主任が主任から外されて一般の看護者に降格されたことがあり、これに対する組合の抗議によって、原告ら四名の医師が連名で今後看護者の人事に介入しない旨の誓約書を組合に差し入れたものの、その後も医局の介入により看護婦が病棟から生活指導部へ配転されるなどの事実があり、また、昭和五六年二月二七日には、医局の強い要求に従い、被告は、松永看護長と津野婦長をその役職から解任するに至った。

ウ また被告と組合との労働協約においては、その第三〇条に「病院及び組合は、管轄権のある労働委員会のあっせん案又は調停案が示されるまでは争議行為若しくはこれに類似する行為を行わない。」と規定されているところ、組合からの前記の要求、通告を受けた被告は、労働委員会に対し、あっせん、調停のための申立てをなさなかった。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  ところで第三者たる組合から被告に対し、原告解雇の要求があったからといって、直ちにこれをもって本件条項にいう解雇もやむを得ない事情に当り、その要件を具備すると解することは失当であるといわなければならない。そもそも、使用者に対し特定従業員の解雇を要求し、その要求に応じないときはストライキに突入するという組合の要求自体その相当性に極めて疑問のあるところであるが、斯る要求があった場合、これと本件条項との関係は右要求の理由や被解雇要求者の立場、使用者と被解雇者との関係、使用者と第三者との関係などの諸事情を考慮して判断されるべきである。この点の判断は、後記3項の総合判断において説示することとする。

(七)(1)  原告が脳波所見を怠ったとする脳波検査問題については、右の事由が原告に対する解雇の意思表示に際し主張されなかったことは当事者間に争いがなく、原告は本訴において右事由を追加主張することは許されない旨主張するが、普通解雇の場合、解雇の意思表示がなされた当時に存する事由は、解雇事由として追加主張することができるものと解するので、原告の右主張は採用できない。

(2)  (証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、

ア 七山病院においては、患者につき脳波検査がなされたときは、当該患者の担当医が所定の用紙に脳波所見、判定等を記載することとなっていたが、原告は、昭和五六年二月一四日以降同年一〇月一九日までの間に自らの担当する患者につきなされた合計三三件の脳波検査につき、所定の用紙への脳波所見等の記載を怠った(その検査年月日及び患者氏名は別紙(2)のとおりである)。

イ 原告は、右各検査につき、検査結果が報告される都度、これを治療のための重要な資料として活用し、必要に応じて当該患者を他の病院に転院させて適切な治療を受けさせる等してきた。また原告は、右のとおり検査結果に基づく所見、判定等は検査結果の報告直後にするが、用紙への記載は約半年分をまとめてこれをしてきたところ、このような一括記載につき、これまで被告から特段の注意等はなされなかった。

ウ そしてこれまで、被告に勤務してきた本多進医師、山崎医師については、そもそも右所見等の記載を全くせず、特段の内規がないにもかかわらず他の医師が代わってこれをしていたが、このことにつき、右両医師につき何らの処分もなされなかった。

エ 被告は、昭和五六年一〇月三〇日、原告に対し解雇の意思表示をして以来、七山病院への原告の立入りを拒み、したがって原告は、カルテ等の整理、引継ぎはできない状態にある。

以上の事実が認められ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3)  そこで検討するに、前記のとおり原告は、脳波所見等の記載を来(ママ)年余にわたり怠ったものであり、そのこと自体は原告の職務怠慢であることは明らかであるといわなければならない。

しかしながら、原告が右のとおり怠っていることにつき被告はこれまで全く注意等をしておらず、また被告の他の勤務医については、特段の内規等存しないのに全く右記載をしなかった医師がいたにもかかわらず、同人らにつき何らの処分もなされてはおらず、そして前記のとおり原告は、脳波結果に基づき実質的な所見をなし、それに応じた処置をその都度とっており、他方、これまでに右記載遅れのゆえに不都合な結果を招来したとの事実はない(ただ、右用紙への記載を完成していないが、これは被告の原告に対する就労拒否によるものである。)。そうすると、右用紙への記載遅れは原告の怠慢であることが明らかであるが、この怠慢をもって、原告を解雇するやむを得ない事情と認めるのは相当でない。

(八)(1)  最後に国本勝の骨折問題(被告は、右骨折問題も本訴で追加主張することができないと主張するが、前(七)項(1)説示と同様採用できない。)については、原告が昭和五六年四月二二日夜右国本を診察しなかった事実を除いては被告主張に係る経緯であったことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によると、

ア 国本勝は、昭和五二年一二月、七山病院に入院し、三B病棟にいたが、昭和五六年四月二二日午後六時三〇分ころ、椅子に座りテレビを見ていたところ、ころんで左ひじを打った。三B病棟で、同夜、国本を担当していた看護人上野政雄は、右事故に気が付き、直ちに、医局の当直室において、当直医として待機していた原告に対し、三B病棟において診察するよう求めたが、原告が直ちには三B病棟に来なかったことから、上野は、国本を連れて医局に行き、再度その診察を求めた。

イ 原告は、国本の受傷部分付近を手でたたいて診察したところ、完全骨折ではなく亀裂骨折であることが伺われたが、詳細は、レントゲン写真を撮らなくては判明しないことから、同夜は、とりあえず受傷部分にシーネを当て、明朝、七山病院の患者をいつも担当してもらっている永山病院にて診察を受け治療をしてもらうという治療方針を立てた(なお、当時七山病院では、夜レントゲン撮影をすることはできない状態にあったものである。)。

そして原告は、上野に対しては、明朝国本を永山病院にて受診させること、今夜はいったん病棟に帰すよう指示をしたのみであったが、その内心においては、後ほど三B病棟に行き、病棟看護主任にシーネを当てる治療をさせようと考えていた。

ウ 上野は、原告の指示に基づき国本を病棟に連れて行くこととしたが、同人に対してはそれ以上の指示(シーネを当てること)が出ておらないため不安を感じ、自己の判断で直ちに永山病院に国本を連れて行ったところ、国本は、左上腕骨顆上骨折と診断され、その治療を受けた。

エ 原告は、同夜上野から右の事実を聞き、三B病棟において、国本のカルテに右事実を記載した。なお国本は、同年七月二一日まで永山病院に通院し、治療を受けた。

以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  そこで検討するに、前記のとおり原告は、同夜上野の求めに応じて国本を診察した上、シーネを当てるという適切な治療方針を立てていたのであるが、上野に対する指示が不十分であったためその真意が伝わらなかったうらみがある。結果論からすると、原告は、当夜レントゲン撮影ができなかったため、国本の受傷の部位程度を正確に把握することができなかったとはいえ、亀裂骨折の疑いを抱いたのであれば、(患者の訴えの程度にもよるが)直ちに応急の措置をとるか又はとるよう指示すべきであったというべきであり、この点において原告に落度があったといわざるを得ない。しかし、他方、椅子からころんで左ひじを打ったとの訴えに基づき患者の受傷部分を外部から診察したところ、完全な骨折は認められないので、仮に骨折があるとしても軽微な亀裂骨折があろうと判断した原告の診断には、これを不当とする指摘がないのであるから、右経過からすると患者をいったん病棟に帰した後に応急措置をとろうとした原告の態度を、直ちに措置をとらなかったとして強く批難するのは相当でなく、これを本件条項に該当する解雇事由と認めるには至らない。

以上のとおり、被告主張の個々の解雇事由(組合解雇要求問題を除く)を検討するも、いずれも本件条項に定める解雇要件を満たすものと認めることができない。

3  そこで、次に、右解雇事由を総合して判断することとする。

被告の抗弁を総合すると、被告主張の解雇事由は大別して二つに分けることができる。すなわち、病院内の秩序を乱したことを事由とするものと職務怠慢ないし手続違反を事由とするものである。

そして、前認定事実によると、前者は、組合が、優越的地位を利用して組合員ら看護者の人事に不当に介入する医局に対して反感を抱いていたところ、原告は、松永看護主任に誤解があったとはいえパジャマ問題により同主任を刺戟させ、また、山下看護主任に担当医である原告を無視する行為があったとはいえ同主任を強く難詰したため同人を憤慨させ、これが直接の契機となって、組合が原告追放の決議をするに至り、これに基づき、組合は被告に対し、原告の解雇を要求し、若し解雇しないときはストライキに突入する旨告知したというものである。右組合の解雇要求問題は原告の医師としての信用と被告の管理者としての能力を問う重大問題であるが、背景となった組合の側からみて横暴と写る医局の態度については被告にもその責任の一端がある。すなわち、病院における治療行為は医師と看護者との協同作業でもあるから、看護者の適正な配置について医局の意見をとり入れることは必要なことであり、被告も看護者の配置につき医局の意見をきいていたのにはなんら問題はないが、医局の不当な人事権の介入と写るまでに至ったのは、これを制限し誤解のない自主性のある人事権の行使を怠った被告自身にも責任があるといわざるを得ない。

このように考えてくると、被告としては、斯る組合の解雇要求があった場合、組合と医局ないし原告との間に入り、双方の融和をはかるための努力を試みるべきであり、それでもなお解決の糸口を見い出せないため解雇もやむなしとの結論に至った場合はともかく、右努力を試みることなく、直ちに右解雇要求に応じ原告をその職場から追放することは、原告に責任のすべてを負わせて自らの責任を回避するものであって、信義則上許されないというべきである。また、組合のストライキ突入の告知に対しても、組合との労働協約三〇条に基づき、ともかくも労働委員会に対しあっせん、又は調停の申立てをなすなどストライキを一時的にも回避する努力をすべきであった。

後者は、原告が当直医のとき、入院患者江端が死亡する事件及び国本が骨折する事件が発生したが、これに対し原告が迅速な対応をとらなかった、患者の入院につき看護者を立ち合わせることなく専行した、通院患者を夜間診察し、かつ無断で宿泊させた、脳波検査結果に対する所見の記載を怠ったなどの行為があり、これらは原告の医師としての能力及び行為に問題があるとするものである。

しかし、既にみてきたように、江端問題、患者骨折問題及び患者宿泊問題については、原告の態度にやゝ適切を欠くものがあったとはいえ、それぞれの当時の状況からすると原告の右態度を強く批難することができないものであり、入院手続問題には原告に全く責められるべき点がなく、脳波検査問題はその実害がなく被告もこれを察知しながら放置してきた形跡もあることをも考慮するとき、以上を総合しても原告を解雇するもやむを得ない事情があるものと認めることができない。

前者及び後者を総合するも同様であり、結局、被告の原告に対する本件解雇の意思表示は本件条項の要件を欠くものというべきである。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し、原告が被告の経営する七山病院の医師たる従業員であることの確認並びに昭和五六年一〇月三一日以降昭和五七年二月二八日の未払賃金及び昭和五七年以降昭和六一年までの各夏期、冬期一時金(ただし昭和五九年、昭和六一年は各夏期のみ)の総計一三八九万四三六四円(原告の請求には、明白な計算違いも存する。)並びに昭和五七年三月一日以降毎月二五日限り一箇月八四万四七四六円の割合による賃金支払を求める限度で理由があるのでこれを認容することとし、原告のその余の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 北澤章功 裁判官 波床昌則)

別紙 (1)

七山病院就業規則二一条 従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。

一 精神又は身体上の故障のため業務に堪えないと認めたとき

二 技術又は能率が著しく低劣のため就業に適しないと認めたとき

三 休職中のものが院長の許可を得ないで他に就職したとき

四 勤務成績が特に不良のとき

五 やむを得ない業務上の都合によるとき

六 懲戒解雇に処せられたとき

七 その他前各号に準ずるやむを得ない事があるとき

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